電子文房具というシリーズがありました。
いくつかのツールがそこで生まれ、学科の仲間や後輩たちが利用していたものです。
そのひとつ、代表格にReCoNoteというものがあります。
バージョンをいくつか経ましたが現在も中京大学で利用されていて。
ジグソー、協調活動に欠かせないツールとなっています。
制作したのは私の2つ上の先輩方。
少しは知っているけど、いったいどういう人達なんだろう。
何がきっかけで作ることになったのだろう。
と単純な質問をとにかくぶつけてみることにしました。
※このコンテンツは、益川先生のご厚意に甘え、静岡大学大学院教育学研究科のとある会議室をお借りし、2011年6月11日に行ったインタビューです。
1.なぜだか、僕らは、なほみ研究室へ行っていた
再会と当時の大学生活の様子
【尾関】 本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございました。ざっくばらんな話しからスタートして真髄に迫っていく…というのでよろしいでしょうか。
【八木】 まとまる話になるかなぁ。その方が心配だよ。
【青木】 まぁ第一回のインタビューだし、実験的要素も多いよね。
【尾関】 なほみ先生(※注1)からの伝言としては、「宜しくお伝えください」というのと、「ご自由に話してください、何を話すか楽しみだわ」ということでした。(笑)
注1:三宅なほみ先生は学科内では「なほみ先生」と呼ばれ,ゼミナールは通称「なゼミ」と呼ばれていました。実は情報科学部認知科学科には旦那様の三宅芳雄先生もいらっしゃったので、学科内では三宅姓ではなく下の名前で呼ぶのが慣例になっていたからです。ちなみに三宅芳雄先生は「よしお先生」、ゼミナールは通称「よゼミ」でした。
【八木】 実験だよ。完全な。(※注2)
【益川】 相変わらず、という感じかな(※注2)
注2:学生達からの共通見解として「認知科学科の先生達は(特になほみ先生は)学生に自由にさせて、その様子から学習過程を常に観察している」がありました。多くの認知科学科の学生はいつも、「自分たちも授業をうけながら先生たちの実験対象になっている」と思っていたようです。
【尾関】 と、いうことで宜しくお願いします。何年ぶりなんですか?3人で集まるのは?
【青木】 めったに会わないけど、去年の益川の結婚式であったね…(※注3)
注3:インタビュイーのおひとり、益川先生は2010年にご結婚され、その披露宴で3人は一応集まっていたようです。
【尾関】 定期的に連絡とったりとかしてるんですか?
【益川】 なんか大きいイベントが無いと会ってないかな。
【尾関】 急に連絡とろうと思えば、お互いまだ通じるんですね。
【青木】 東静岡駅前のガンダムを見に来ようと思っているうちになくなっちゃったんだよね。(※注4)
注4:以前お台場にあり、静岡へ移動してきた実物大ガンダムのこと。2010年7月24日~2011年1月10日に展示されていました。
【尾関】 関係が学生時代から変わらなそうですね、お聞きしていると。
【青木】 今もだけど、常にいっしょにいたわけではなくて、みんなそれぞれ自由に生きてた気がするよね。
【八木】 好きな時に集まってた感じかな。
【尾関】 学校に行くと皆さんがガーデン(※注5)とかにいて、「おーいるいる」みたいな感じで話して、「じゃあ俺帰る」といった学生生活だったのでしょうか。
注5:中京大学豊田学舎の9号館(元情報科学部棟)には、24時間いつでも学生が自由に端末を利用できる「コンピュータガーデン」と呼ばれる半オープンスペースがあります。そこに隣接して教員の研究室が並んでいる、という構造になっており、現在も情報理工学部の学生と教員の交流の場となっています。
【青木】 まだ入学したころは携帯電話がない時代だったので、連絡を取り合う方法は今と違ったよね。
【益川】 その頃、連絡を取り合うのはtalkコマンド(※注6)じゃなかった?
注6:当時、コンピュータガーデンの端末はUNIXベースの環境でした。talkコマンドとはUNIXコマンドの一つで、USERで指定した遠隔のユーザと会話をテキストベースでできるというものです。
【青木】 そうだね、fingerでログインしている人を見つけてtalkでチャットしてた。日本語使えないから、アルファベットで会話してたなあ。
【尾関】 それでは少し本題に向けて話を進めていきます。大学時代は、3人は3人をお互いにどう見てたんですか。ちなみにちゃんと学校に出てるタイプの御三方ですよね。どっちかというと。
【青木】 (4年生になってからは)学校にはいたけど授業にはあまり出ていなかったかな。(笑)ゼミ室にこもってプログラミングしてたりとかで昼夜逆転してた。
【八木】 俺はちゃんと出てたよ!
【益川】 なんかね、青木は、認知科学系の本がすごく好きだったから…
【八木】 本は読んでたよね。
【青木】 そうだね。1・2年生位の時かなほみ先生の部屋を図書館代わりに 使わせていただいていました。なにかおもしろい本が無いか、先生に聞きにいっているところもありましたが…。たとえばガードナー(Howard Gardner)の『認知革命』(The Minds New Science: Ahistory of the cognitive revolution) とか。
【益川】 ぼくは(1年生のころ青木さんがなほみ先生の部屋に)行く時に一緒についていって。話を聞いてたりして。
【青木】 八木は1年生の時英語かドイツ語かね、その辺で一緒だったかな。
【八木】 よく覚えてるな。1年生から青木と益川は一緒にいたけど。僕は違ったかな。
【益川】 (八木さんとの出会いは)ちょっと遅めだったかな。
【尾関】 3人としての関係ができたのは?
【八木】 ゼミに入ってからかな。ゼミ決めるのは、もっとずっと後だもんね。(※注7)
注7:当時認知科学科の学生が所属ゼミナールが決定するのは2年生の後期でした。
なほみ先生の部屋に行き始めて
【八木】 そういえば1年2年の頃から、なにかとなほみ先生の部屋へ行ってたな。
【益川】 なんでだろう。1年生前期の認知科学入門(※注8)がなほみ先生だったから?
【尾関】 なんだか皆さんなほみ先生のところばっかり行っていますね。1年生の初めの方に遭遇する先生は他にもいるじゃないですか。
【青木】 学びを支援する仕組みを作る、みたいなとこにはなんとなく興味があって、いろいろな本を借りながら、こんなことに興味がある、みたいな漠然とした話を先生にすると、別の本を紹介してくれたり、すこし深く考えるためのきっかけをもらったり、とか行くと面白かったから通ってた感じ、だと思う。
【益川】 ぼくは2年生前期の認知科学研究法2 (※注8)で、グループで実験を考えて実際にデータを取って発表したり(この時に折り紙を使った実験をした)、認知科学の専門書を読んで発表するっていうのがあって、その時に先生に「もっと折り紙実験のデータ採ってみない?」な感じで誘われて。これがきっかけで、レイヴ の日常生活の認知行動 を読んだりした。
注8:中京大学認知科学科の必修科目として開講していました。
【青木】 益川はなほみ先生に誘われて通い始めたのか。
【八木】 そうなんだね。
【尾関】 青木さんは本借りて自分から主体的な関わり方ですね。益川さんは授業を受けているうちに、なんとなくその辺にいて、「じゃあやってみて」みたいなスタートなんですね。八木さんは?
【八木】 結構早い時期からなほみ先生とこ行って、なんか相談していた はず。自分は青木・益川みたいにコンピュータ好きということはなかったんだけど(※注9)、自分の興味があった教育分野にとりくんでいる先生の中で一番興味持ったのが、なほみ先生だった。
注9:認知科学科には何種類かの学生がいて、大きく2つにわけると「情報機器が大好き技術系」と「教職を目指す元気な教育系」に分けられました。インタビュアーから見て前者は青木さん、後者は八木さん、その中間が益川さんという分類です。
【青木】 3年の夏休みにCSCL(Cscl: Theory and Practice of An Emerging Paradigm
Timothy Koschmann (Editor)) の読書会があったときは(※注10)3人がそろってたよね。夏休みの時に新任の学校の先生とか興味がありそうな人集めて、みんなで一章づつに読んで。
注10:CSCLの読書会、これについては次回のインタビュー記事で詳しく掲載します。
【益川】CSCLの本の時は(なほみ先生に)3人で一章やらないって言われて。その時に、古田さん のTrans Assist(トランスアシスト) (※注11)で、みんなで英語を読んでみたり。
注11:古田さんのTrans Assist」とは電子文房具シリーズの一つで、初期に登場したツールになります。英文を単語ごとにカード化し、自由に空間配置しながら読解していくツールです。これについては情報科学研究科・認知科学専攻3期生の先輩である古田さん(現在は道具眼)の説明ともども別のインタビュー時間を設けてご説明します。
【八木】 うんうん。
【益川】 あれ使ってやるといいよって(なほみ先生に)言われて。プロジェクターで画面を壁に映して使いながら。
【青木】 やっている様子は古田さんの研究資料として録画されてたのかな。
【益川】 どうだったのかなあ。
取材スタッフ:尾関智恵、春田裕典/構成:尾関智恵/サイトデザイン・撮影:春田裕典
【三宅な】 そんなことがありましたね.いきなり認知革命もってったんでびっくりしたの覚えています。 中京大学は当時,図書館に日本のたぶんどこの大学の図書館よりも認知科学に関するものをそろえてあるけれど、地下の図書館は学生は学生証を見せて入る、となっていたりして入りにくい場所だったんです。なので最初の授業の頃に、私の部屋は少し本があるから「借りていってもいいよ」と言っていたので、それで来ていたんだと思うんですよ。最後にリュックサックで卒業前に、「こんなに家にあった」と言って持ってきたりしていたわ,そういえば。
【三宅な】 益川さんは実は、授業で90分を60分の講義と30分の追加課題型授業にわけてやってた時代の話なのね.自由課題として、※後の一連の折紙実験の実験を、ここで提案してくれていたんじゃなかったでしたっけ?
※後の一連の折紙実験の実験
【益川】 はいそうです。 の2年生の授業で、徹夜で悩んだ末、あの折り紙実験を考えて、じっさい周りの人たち相手にデータを取って分析していました。当時は、2/3の3/4の後に、3/4の2/3をやったら、計算にみんな移行する、という甘い仮説を立てていたのですが(苦笑。
【三宅な】 八木さんは私の記憶では、出会った時はすでに先生になることを決めていて。すでにゼミに行っていたと思います。現場の先生たちが夕方に来て、話をしてというのがあって、誰が来てもいいというのでそこに八木くんが行っていてたはず。おそらく浅野先生のゼミに特別参加させてもらって、早いうちから大学を出て現職の先生している先輩と付き合ってたりして。そういう話で出てきたことの感想とか、浅野先生の授業のやり方(紙飛行機飛ばして知らない同士でコメント書き合うやつとかね)の話をしてくれてたような気がします。
【三宅な】 これを選んだのにはびっくりしました。
【青木】 「認知革命」は、認知科学の文脈の中での、「エキスパート・システム」の位置づけ、難しさなどが紹介されており、できたら便利そうなしくみも実現するのは簡単ではないのだなあ、などと認知科学の奥の深さを考えさせられる本でした。
人間がやっているような思考をコンピュータにやらせ、問題解決の手助けにしよう、という発想の「エキスパート・システム」には入学前から興味を持っており、この本は、そのあたりの話を先生にして、紹介してもらったかもしれません。
ガードナー(Howard Gardner)の『認知革命』 (The Minds New Science: Ahistory of the cognitive revolution)