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三宅なほみの研究物語

本コーナーは、三宅なほみが中京大学から東京大学に物理的な移動の後、ゆっくりとその後をついてきた「三宅なほみ研究室」のWebサイトに伴って、新しく企画したものです。
Webサイトを担当する弟子としては、せっかく時間をとってこれまでの実践や研究、つながりを再現するので、この機会を逃さず、本人に「どういうつもりで」「どんなことを」やってきたのか、改めて聞き出してみたいと考えました。進行しながらあちこち浮遊するプロセスも楽しみながら、本サイトを訪れた皆さんと三宅なほみワールドを満喫できればと思います。

企画者 尾関智恵・宮原詩織

 

プロローグ ~ 連載スタートにむけて ~

2010年の年末、尾関と宮原はインタビュー企画案をもって三宅なほみ研究室を訪れたり、eメールを介したりして、こんな企画を提案しました。

宮原:ざっくりとしたアイディアですが、「三宅なほみの7つの書き物」と題して、過去の代表研究を数本セレクトして先生の話を聞いていきたいです。たとえば・・・。こういった研究について、こんな質問を投げかけながら、いかがでしょう?

プランA
過去の研究を、意味づける 「三宅なほみの7つの書き物」
過去の代表研究を数本セレクトして、時系列に話を聞いていく。すべてに原文と概要をつけ、弟子が質問をしながら話を引き出していく。

● 候補例

  • To ask a question, one must know enough to know what is not known 修論1979
  • Constructive interaction and the iterative process of understanding 博論1982
  • 教室にマイコンをもちこむ前に 新曜社1985
  • インターネットの子どもたち 岩波書店 1997
  • Cognitively active externalization for situated reflection 折り紙論文 2002
  • 学習科学とテクノロジ 2003
  • A collaborative approach to teaching cognitive science to undergraduates: The learning sciences as a means to study and enhance college student learning. 中京実践 2006
  • Conceptual Change through Collaboration 協調を経た概念変化 2008

● 質問例

  • この質問を思いついたきっかけは何ですか? 結果は思ったとおりでしたか?
  • この研究は先生にとってどんな位置づけですか?今思い返していかがですか?
  • この研究の結果どんな関心が生まれましたか? どう次に結びつきましたか?
  • 最も気に入っているエピソードはなんですか?
  • 取材して(研究して)面白かったことは?(書ききれなかったエピソードは?)

三宅:専属のライターがいるのも贅沢ですね。少し考えてみましょう。
三宅:宮原さん、質問セットが見えるようになりました。質問口調を変えたいのですけど、良いですかしら?

● 現状

  • なぜ、この疑問を持ちましたか?
  • この研究中一番面白いと思ったのはどこですか?
  • もっともどこに苦労しましたか?
  • この結果は、想像どおりでしたか?
  • その後、どんな疑問に発展しましたか?

というところ、こんなのはどうでしょう?

変える案

  • このテーマにしようと思われたきかっけは?
  • この論文に至る研究の中で気付かれたことは?
  • 難しかったのはどんなところですか?(←、これ、研究中か、論文にする時か、で違うかもしれないですね、そういうものなのか)
  • 結果は予想どおりでしたか、という質問、そうか、そういう質問があり得るのか、と思いました。論文にしてしまったから、かもしれませんけれど、予想通りにならなかった研究ってあんまりやったことがない、という気がします。これって、不思議??)
  • (その後どう発展しましたか、という質問も、拝見して、はて、と思いました。ひとつひとつの成果が今の私を支えているので、簡単には説明できないみたい・・・。こういうことをお聞きになりたいだろうな、という感じはわかりますけど)

と、変更案を考えてみて思いついたのは、最初の3つは、それぞれの研究や論文に対応できて、後の二つは、あなたにとって研究とは?というような、いくつかの研究を通しての括りのような質問になるのかもしれませんね。

ちなみに、論文から行くのではなくて、私が「ああ、あの時期はこんな研究テーマで仕事していたなあ」と思えるものを上げてみますと、

********ここから

大学学部後半:
ことばって何? 人はことばをどう使う?
人は、入れ子構造をどの程度の複雑さまで聞いて理解できる?(これ、卒論)
英語はどうやったら「使える」状態まで学習可能か
言語学習、特に第二言語の学習と文化
英語教育法、中でも Total submersion 型の英語教育が学習者の知的レベルも同時に上げるのはなぜか(San Lambert 実験)

修士時代:
Azuma-Hess 日米幼児教育比較研究周辺参加
波多野先生の「英語教育やりなさいな」の一言で「動機づけ、性格特性(文化、と言えなかったからこういう言葉を使ったのだろうな、と今は思います)と英語習得度」(これ、修論)
「情報処理心理学」というアプローチでの記憶、やっぱり、ことばによるメタ記憶の増進、とか
東先生主催のアジア発のICPでDon Normanを「見る」
アメリカ型研究への手引きをしてくれたのは、Robert Hess, Pat Dickson

博士時代
Azuma-Hess 日米幼児教育比較研究、段々中へ
母親と子どものやりとり(でのことばの使い方)の日米比較 研究そのものが研究者の文化と起こすインタラクション (別の言い方をすると、Cole的な文化相対論)
佐伯胖の視点論(私にとっては、理解と視点)
ことば、英語、などはそれ単独で研究の対象だった時代を過ぎて、「使われるもの」「問題解決の手段(ツール)」としてどういう機能を持っているのか、ということの方に興味が移っていたようです

UCSD前期
理解と視点の関係の話を、質問研究へ(佐伯さんはどうしてあんなところに小人を飛ばせるの?から、あ、視点の問題って、私にとっては、人はなぜどうやって質問できるの?っていう問題だったのね、と気付いた結果)
ラボ全体が認知過程のアウトプットとしての運動に焦点化していたから、私はその一翼を担う積りで、思考のアウトプットとしての言語使用、説明(メンタルモデル)がどうやってできて(出て?)くるのか、とか、出てきたものはその後どうなるのか、とか 形式モデルは苦手だったので、質的モデル論にあこがれる

UCSD後期
統計、ミシンを題材に「ことばと理解」→わかるとはどういうことか(人がどうことばを使っている時、わかっているのか、わからなくなると自然に疑問が出てくるか、などなど)→研究法としてのVerbal Protocol はデータ化論争→えい、じゃ、もう理解過程を二人対話の言語化データから拾うしかないじゃないか、当面、という経緯を経て、建設的相互作用へ Coleに、「あなたは将来協調的な過程を実践場面で研究して行く」的な予言をされて、びっくり。その頃にはそんなはずはない、と思っていました
Computerが開く教育の世界

帰国後の空白の2年間
ネットワークで繋がる「問題解決状況の共有」 ICLN準備
モニタリングの多様性、効果(航空管制シミュレータ実験など)
LOGOによる教育-リスト処理機能を中心に(ここでもLOGOなのに図じゃなくて、ことば処理)

青山短期大学時代
ICLNフル稼働(これで授業をやってた)
研究として語られる認知過程の説明と「文学」のことばで語られる認知過程の説明では、後者の方が学生に浸透しやすい(「使われる」「語りなおされる」)理由、なんていうことに興味

中京大学時代
CREST以前
認知科学の知見の中で、何が「学ぶ(学んでもらう)だけの価値のあることか」、それをどう人は学べるか、もっと平たく言えば、やたらにメタな認知トークの中のどういうことなら学生が興味を示すか、を探っていた時代-「それは学習でしょ」というのは、実は学生から教えてもらった
ジグソー法が知識構築に使えそうなことへの気付き(Zimbaldoのテレビ授業シリーズを見ていて)
折り紙実験期

CREST時代
教育環境にどういうIT基盤があればいいのか、ITは教育のどこをどんなふうに支援してくれるのか
Stop & Think, CaRD, ReCoNOTE, IQRaiser など作っては試し白水さんの研究で折り紙現象と協調過程の原理が結びついて、建設的相互作用の「原理的な説明」が少し進んだ時期
このころ多分盛んに口にしていた「認知科学は常識であるべき」論は実は根っこは院生時代に波多野さんから伺った(と私が思っている)「心理学常識論」の蒸し返し

SORST時代
中京でやってきたこと、開発してきたアプリケーションをどう「外に」出すかが課題に
教材も、実践の方法も、アプリケーションも、データも、私の場合、それぞれ単独で論文にしてもあまり意味がない 反面、それらをパッケージにして他機関に移行すれば、新しく生れ変わる(変わって初めて意味がある) こういう転成を科学や研究でどう扱うの?というのが hidden theme だったと思う

東京に移ってから
原理と実践と評価と、それらを人に説明すること
学びと文化再び
周りのIT環境が乏しいだけに、「ITは教育(TrainingだけでなくEducationまで含めた教育)を支えるか」
人は領域をどう理解して行くのか、を、どうやって研究するか
理解とことばの関係 二つの「言語」を持っていることは理解を豊富にするか、使えるものにするか

********ここまで

などなど・・・随分長くなっちゃいましたね。でも、あちこち取りこぼしている気がします。こういうのって、そうか、完全に自分だけ面白い、のかもしれませんね。読む人のことを気にしていないblog みたいなものだからね。この他に、それぞれの時代に好きだった本や論文リスト、なんてのもあり得ますけど、ますます一人ごとになりそうです。

と、さっそく、すばやく振り返った状態、の全体図が見えてきました。
この後の連載は、この全体図をもとに、順に質問を投げかけていきます。

 
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