三宅なほみの研究物語 三宅なほみ先生が紡いだ研究のルーツをや関心事を、先生からお聞きし、連載形式で沢山の方にお伝えしていきます。
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三宅なほみの研究物語No.1 お茶の水女子大学 教育学部心理専攻 人は、入れ子構造をどの程度の複雑さまで聞いて理解できる?(卒論)

インタビュ-のイメージ

―― 先生ははじめ、言葉から英語教育について研究されていたんですね?

三宅
それは、そうね。ことばの研究は、けっこう長かったわね。英語教育ですね。

―― 英語教育に行く前の「ことばって何?」という時期ですが、具体的にはどんな研究をしていらしたんですか?

三宅
その頃はそれこそ大学の授業でも、「文法って何か」に焦点が当たっていた時期ですよね。高校の英語の先生はチョムスキの階層(※1)などに興味を持っている、というような時代でした。

※1 チョムスキの階層 【欧文】Chomsky hierarchy
0型言語,1型言語,2型言語,3型言語という4種類の言語のクラスの間の包含関係の階層.n型言語のクラスはn+1型言語のクラスを真に含む.チョムスキの先駆的な研究によるこれらの言語とその間の階層関係の定式化が数理言語学の始まりとされる.(認知科学辞典より)

生得説では、子どもは生まれたときに遺伝的に文法を組み込まれているのであって、言葉を「こういう風に物を言えばこういうことが伝わる」という風に覚えるのではない、という話が出てきます。子どもはどの時期にどの規則を獲得していくか、といった研究がたくさん出てきた。チョムスキは言語能力を実際の言語使用とは切り離して、コンピタンスと実際の運用能力とを、区別して考えていた。そういう話を大学時代に聞けば、「じゃあ子どもってどんな風にことばを使うんだろう」、「日本語ってどういう特徴があるんだろう」とか、いろいろなことを考えますよね。

ことばが好きだったのもあって、特に、英語と日本語の違い。これを考えるようになりました。特に、英語って中に、"I saw a cat that …"の後"the dog chased."と追加すれば、犬が追いかけた猫と言えるじゃない。そのdogにthat以下の節を追加することもできるから、無限に長く続けていくことができるわけだよね。"I saw the cat that the horse that the dog that the frog" と言ってしまって、"jumped up, kicked, barked at, chased."とずっと戻っていく文章の形が原理的には可能。

一方で、日本語では「私は、ネコが、犬が、馬が」とは絶対言わない。全部右側に落としていくから。「私は、ネコが飛びあがって、馬が蹴って、犬が吠えて、蛙が追いかけた」とそんな風になっていくので、英語と日本語は、構造が全然違うんです。

それで「人は日本語と英語という、構造が全く違う言語を、同じように処理するか」ということが気になっていました。世の中には「日本語というのは外国語としてすごく学びにくい」、「中国語と英語は構造が似ているから中国人は英語がうまい」といった話があるじゃない?これを背景に、「日本語は構造が違うから、英語を学びにくいのかな」と思っていたことが、あるのかもしれません。

―― 先生が、英語を一生懸命、勉強されたのもその時期ですか?

三宅
そうですね。やっても上手くならないとういう感じをすごく持っていた、学習者として。だから、自分の問題だったということはあるかもね。そして、その頃ミラーとイザードの論文に出会ったんです。

当時のお茶の水大学の教育学部には、教育学と心理学の2つの専攻があったんですが、心理学専攻は10人を切るくらいの人数で、大きな所帯ではなかったんです。博士課程はなく、修士課程だけでしたし。彼らは、院生たちや助手さんや研究生が、週に1回くらい論文を読み合わせていたりしました。その場で、ミラーとイザードの論文が評判になっていたの。ミラーは、あの7プラスマイナス2のミラーですけど。言語屋さんだったのよね。

―― ああ、そうなんですか。

三宅
そう。それで、ミラーとイザードが、先ほどの"the cat the dog…"という文章は原理的に可能だけれども、大人でも基本的に2階層までしか処理できないと言ったんです。だから、"The cat the dog was chased run away."(犬に追いかけられた猫が逃げた)で2段階はわかると。しかし"The cat the dog the mouse…"と3段階になると、わからなくなると言っていた。実験結果も、けっこうきれいに2段階と3段階で差が出ていました。例えば「ネコが走り去った」「犬が追いかけられた」のような選択肢を4つ挙げておいて、「どれが入っていたか?」と尋ねると、2段階までならほぼ正解できるけど、3段階になると大人でもできなくなってしまう。多少年齢差はあるものの、3段階になると誰もできなくなっちゃうという話でした。

※2 Miller, G.A. & Isard, S., 1964,"Free Recall of Self-embedded English Sentences Information and Control Volume 7, Issue 3, Pages 292-303.

その頃の英語研究には、「言語の間にどれだけ規則の共通性があるか」「人は文と非文を敏感に区分できる」といった規則性の話が多かった。それに対して、ミラーとイザードは、記憶負荷や情報処理の側面からも、人の言語運用を考える必要があるということを示唆していたの。小さな論文だけどね。当時「認知研究がおもしろい」と意識しないまま、興味を持ちました。

日本語は、中に入れ子を作る文型ではなく、右に開いていくタイプの文法ですね。同じ意味を話す場合も、「ネコが追いかけてね、犬が次に吠えてね」と言う風に、次々句点無しに連綿と続けていけるでしょ?私は、それは、日本人が得意な文型があるという話なのか、やはり日本でも構造が3段階になるとわかりにくくなるのか、という問いを持ったんです。

当時の指導教官(藤永保先生)に相談すると「多少強引でも、英語の構造展開を日本語で再現できないこともない」と言われました。自然な日本語としてはおかしいけど「犬がね、ネコがさ、馬が踏んづけた、追いかけられた、吠えたんだよね」みたいにembed型も再現できる。どうせなら、embed型とright branch型を双方やってみて、何歳くらいに何が分かるようになってくるか、をやってみたら、と言われました。

そこで、主語を「太郎くん」「花子さん」などにして、「追いかけた」「渡した」とかの動詞を組み合わせて山のように文章を作りました。embed型とright branch型の文章を20~30文、テープレコーダーに吹き込んだんです。 実験では、被験者にそれを2回くらい聞いてもらって、選択肢のカードを見せて、「これがテープレコーダーで言われていたかどうか、丸を付けてください」というようなことを頼みました。対象者は、小学校2年生、小学校6年生、中学生、高校生でしたね。

―― すごい規模ですね・・・。

三宅
小学校から付属の学校が同じキャンパスの中にあるものですから、「まぁいってみよう」という話になりまして。25人~30人ずつ位だったですかね。 ガリ版の扱いも上手くなりましたよ。輪転機型の機械を、事務の人が貸してくれるというので、行って借りたりしていました。卒論をやったのか、事務作業をやったのか、わかんないですね。

―― 双方の腕が、あがったみたいな感じですね。

三宅
ええ。それで、結果は一応出たんですけど、意外に年齢差があまりなかったのです。大学生になると分かる人が増えるけれど、それでも、せいぜい2割か2割5分でした。日本人はembed型がわからないし、3段階だとわからない。そういう意味ではミラーとイザードの論文と同じ結果です。ただ、恐ろしいことに、小学校4年生でも3段階がわかる子が1人か2人はいた。ほとんど間違えない子がいたんです。

―― 実験結果に驚くとのは、先生には珍しいことですね?

三宅
ええ。形式的操作ができるのは、もう少し年齢が上になってから、と考えている時代だったというのもあって、7歳位の年齢で、意味に頼らない、抽象的な操作のようなことができてしまうことがある、と驚いたのでしょうね。実験で何を明らかにしたいか、まだ明確に把握していなかったということもありますけれど。

―― しかし、随分大規模な実験ですね。

三宅
ええ。卒論の審査でも「よく、これだけのエネルギーが出たね」と言われました。なんでこのリサーチクエスチョンで、これだけの規模に取り組めるの、ということかもしれないわね。

―― すでに、明らかにしたいことに対して、一切の手抜きしない姿勢を感じます・・・。

Section2に続く

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