先生の周辺で学んで、その後

2nd  Interview 自分の興味と向き合い、実体験から考えを変化させていく

  • 1.思いもよらなかった認知科学科の道
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三宅なほみ先生が在籍されていた中京大学情報科学部認知科学科では、
入学したら卒業までにいくつかのパズルに出会い、解く経験をします。
その代表格が「ハノイの塔」です。

入学した年によって出会い方に多少の違いがありますが、
2000年のころから1年生の必修科目の「認知科学入門」という講義の中で
三宅先生は学生全員に実物のパズルをさわる機会を用意していました。
1年生は学校生活にやっと慣れてきた頃、教室で仲間とパズルを解きながら、
「どうやって自分たちは解いているのか?」と内省をしはじめ、
問題構造について考え、それをを解くアルゴリズムをさぐります。
そして、解いている他の人の様子も知りたくなり、
発話を読み解く「プロセス分析」の手法に触れます。

そしてハノイの塔を入り口として関連する研究例や論文を読みながら認知科学の深みへ入っていきます。

今回は、その講義で得たアイディアから卒業論文を書き上げた人を取材します。
ハノイの塔の講義は、現在システムエンジニアの鈴木さんの仕事にどうつながっているのでしょうか。

Interviewee

1.思いもよらなかった認知科学科の道

当時の思い出と認知科学との出会い

【尾関】 お久しぶりです。本日はお時間頂きありがとうございます。タイトルの通りなほみ先生の周囲の方々に当時を思い起こしてもらい、どういう風に先生と関わって認知科学を学んだかを本当に自由に話してもらうことで、当時の雰囲気やその経験が現在どう役立っているかなどを内省・外化して頂くという目的でやっております。よろしくお願いいたします。

【鈴木】 はい。よろしくお願いいたします。

【尾関】 鈴木さんは2009年3月卒業ということで、認知科学科としては最後の学年(※注1)だったんですね。どういう授業をやったのか、今覚えてる範囲で結構ですのでを思い出した順に話してもらえますか?
注1:中京大学情報科学部認知科学科はインタビュイーである鈴木さんが入学した翌年である2006年に情報理工学部情報知能学科と改組し、最終的に2010年に募集停止となりました。

2005年度認知科学入門にて導入で使われたテーマ
当時、なほみ先生が計画した授業案についてはこちら をご覧ください。授業中の活動の狙いなどが垣間見れます。
そして授業中に実際配布された資料をご覧になりたい方はこちら をご覧ください。

【鈴木】 はい。とするとやっぱり一番印象に残っているのは入学直後、1年生の授業でやった曜日を足し算するってやつですね。なほみ先生と白水先生が担当されていた授業(※注2)だったと思いますが、「水+木=」のような「意味わかんない」っていう感じの20問くらいがーって書かれたプリントを渡されて、でどう解く?みたいなやつで・・・ 
注2:2005年度認知科学入門にて導入で使われたテーマです。

【尾関】 私は当時この授業のTAとして参加していましたが、毎年1年生に問題のプリントを配布すると「え?」ととまどったり「お!」と顔つきが変わったりと、様々な反応があっておもしろかったのを覚えています。

【鈴木】 そういえばそうでしたね。まあ結局解法としては数値に置き換えて数字で足して、で足した結果をまた曜日に戻すとかいう内容だったと思うんですけど。それはできるとして。その後にアルファベットの足し算がでてきて、その時に「曜日でやっていたことをアルファベットにも落とし込んで、数字に置き換えれば解けるんだっていう解き方の推測が立つでしょう?こういう所、人間ってすごくない?」みたいな話 だったような気がするんですよね。そういった入り方だったんで、本当に「これから何をやるんだろう?」っていう不思議な感じと、ちょっとまあわくわくとっていう始まり方でした。 そのあと、ちょっとしたらハノイの塔がでてきて・・・で結局僕は卒論もハノイの塔で書いたんですけど、4年間ハノイの塔にはじまり、ハノイの塔で終わったのかな・・・

2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子

2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子 「問題を解くとは?」の話をするなほみ先生 「問題を解くとは?」の話をするなほみ先生
2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子 当時の座席の様子です。あらゆるデータが研究のために収集された講義でした。 当時の座席の様子です。あらゆるデータが研究のために収集された講義でした。
2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子 たくさんある曜日計算をどうやれば短時間で正確に解けるか、懸命に試行錯誤します。
たくさんある曜日計算をどうやれば短時間で正確に解けるか、懸命に試行錯誤します。
2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子 みんなのアイデアをグループ毎に集約し、更に共有することで教室内全体のアイデアを見渡します。
みんなのアイデアをグループ毎に集約し、更に共有することで教室内全体のアイデアを見渡します。
2005/4/11 認知科学入門当時の授業の様子 鈴木さんが所属したグループのアイデアメモです。どういうことか分かりますか?
鈴木さんが所属したグループのアイデアメモです。どういうことか分かりますか?

【尾関】 そもそも高校から大学を選ぶ時は、何か目指すものはあったのですか?

【鈴木】 そうですね。インタビューの記事としてはあんまり・・・なんだろ、かっこいいストーリーではないと思うんですけど・・・。

【尾関】 あの、言いたくなければ無理しないでください。お任せします。

【鈴木】 いや言っても全然大丈夫です。高校卒業でみんな大学に行くっていうのが多い高校だったんですけど、僕は専門学校に行きたいっていうのがあったんですね。その時はゲームを作りたいっていう気持ちが強かったんです。でも両親からは大学を出てほしいっていう話になったんですが、「僕は全然専門学校に行きたいんだってそんなのしらねーよ」というふうになりまして。

【尾関】 ほう。

【鈴木】 それで親と僕の間での話がなかなか決着がつかず、僕も勉強しろと言われても全然身に入らずですね・・・。まあ卒業して一年間は大学には進まずに浪人という生活を送っていました。予備校に通いつつも「俺は専門学校に行くんだ」という気持ちでいたせいか現役より勉強が身に入らなかったんでしょうね、結局受験が始まって色々大学を受けたけど・・・。そういう状況になったので、親も「そんなに専門学校行きたいんだったら行く?」とやっと折れてくれて、専門学校の願書出したんですね。「やったーいけるー!」って喜んでいるそのタイミングで認知科学科から合格通知が来たんです(笑)。

【尾関】 なんだか訳の分からない状況ですね。

【鈴木】 はい。それで、その合格通知を見て親が「あれ?大学合格なら、じゃあやっぱこっちいきなさいよ」となりました。その後色々話し合ったのですが、両親が「ゲーム作りたいって気持ちできてる専門学校の子たちを否定するわけじゃないのだけど、あなたの場合は他の人よりも狭い範囲でしかものが見えなくなるタイプだから、もっと大学に行って色々な方向を見てる人たちに会った方が、多分ためになるよ」みたいなことを言われて、自分も「ああなるほど、じゃあ大学いってみます」ということになりまして。それで認知科学科に入って・・・長くなりましてすいません。

【尾関】 いえいえ。通知のタイミングも絶妙だったようですね。

【鈴木】 なんか劇的で。今となっては本当に大学へ行って良かったなと思っています。奇跡だったと思えるくらいです。

【尾関】 そこまで思えた原因ってなんでしょう?

【鈴木】 やっぱりなほみ先生の存在が大きいです。お会いして1年目の時は、ちょっと不思議な空気のある人だなという感じでした。最初のうちは男性の教授の中に女性が一人だったというとこで、そのときの自分にとっては際立ってみえました。その後ハノイの塔に限らず色々ジグソーパズルを解くなど問題解決に関する研究を学んでいくのが面白くなってきた時期に、ジグソーでミシンの論文(※注3)を担当したんです。その時にこれを三宅なほみ先生が研究されていたって知ったところあたりから、先生になんか凄い興味を持ったのですけど、なんか・・・
※注3:Miyake, N. (1986). Constructive interaction and the iterative process of understanding. Cognitive Science, 10, pp.151-177.

【尾関】 その・・・インタビュー意図からすると、予想外にうまい話になりすぎていて、私がびっくりしました。それはいいとして、ミシンの研究のどんなところが面白かったのですか?

【鈴木】 ああそうですね。レベルの違う人同士だと、下の人の方が学ぶだけで上の人にとってはなんも得るものはないんじゃないかと考えられていたのでしょうけど、実はそうじゃなくて上の人にとっても下のレベルの人が思いもかけない質問をしたりすることによって、自分の知らないところに気づいて互いに知識が深まっていく、わかってるつもりでいたところが結構わかってなかったみたいなことに気づくっていう研究だったと思います。それを読んで、「ああなるほどな」と思ったことが自分で面白いなあと思ってですね・・・

【尾関】 ミシンの話は腑に落ちる話だったと。

【鈴木】 そうですね。その時点での自分の経験に当てはめて「なるほどな」と思ったのか、こういうこと実際にありそうだなって思ったのかはちょっと今思い出せてないんですけど・・・
確かあれを担当したと思うのですが、もしかしたらそう思いこんでいるのか。その文献を読んだのは2年生かなと思います。

【尾関】 2年生は後半にゼミを選択しましたけど、そうなると当然・・・。

【鈴木】 そうですね。ゼミを選択するってなったときも、三宅なほみゼミしか考えられないって言う感じでした。でも競争率が高いっていうか、人数が多くとるけど入れない人もいるという話を聞いていて、「3年生になってなほみゼミじゃなかったら嫌だなあ」とすごい憂鬱な時期もありましたね。

【尾関】 当然そうなりますよねえ。

【鈴木】 ゼミ発表される朝ぐらいの時になほみ先生の部屋の前に朝行ってたら「これからもよろしくね」と言われたんです。「おお!俺、三宅なほみゼミに入れたんじゃ!?」と大変うれしかったのを覚えています。

【尾関】 おおお、大変、熱意があったのですね。

【鈴木】 はい。なんとなく選んでなほみ先生のゼミに入る人は多かったと思いますが、本当にほれ込んでっていう感じの人は僕の学年ではあんまりいない印象でした。

ハノイの塔で卒論を書くことになった経緯

【尾関】 1、2年生の時に授業を受ける中で、凄く惚れ込んでいった(?)っていうのはわかりましたが、直接本人と会話などやり取りしたってことあります?

インタビューの様子

【鈴木】 本を借りたことはあります。2年生だったと思うんですけど、僕、多分なほみ先生にとっては珍しいと思われた存在なのかもしれません。なほみ先生の部屋に入っていって何度か話したことがあるんですが、あんまりそういうのをやってる同期の人たちはいなかったかもしれませんね。

【尾関】 フラフラと入っていったの?(※注4)
※注4:なほみ先生の研究室は、学生が自習などで利用するコンピュータガーデンに隣接していた上、他の先生の部屋と比べてドアが開かれていました。なので学生でも誰でも出入りがしやすく、実際多くの人がそうしていました。

【鈴木】 フラフラーと入って話したり本を借りたりしました。なほみ先生の部屋のすぐ前にある自習用パソコンが僕の専用の端末というくらい授業外の時間はずっと座っていたので、先生がいる/いないは、すぐにわかるっていう状況でしたね。

【尾関】 ああそういえば、あなたはドアの前にいつもいたよね。

【鈴木】 ドア閉まっている時は入ってくるなっていう先生の意思表示ですから静かにしていましたが、開いている時は「あちょっとすみません」みたいな感じで声かけたりとかしてたかなと思いますね。

【尾関】 どんな話してたかは覚えてます?

【鈴木】 一番良く覚えてるのは、ハノイの塔で卒論を書くっていうきっかけになった話です。3年生の時くらいに、今日はパソコン触ってるのも暇だから1年生のときに触ったハノイの塔を久しぶりに触りたくなったときがあったんです。その時になほみ先生に「貸してください」って言って借りてきて、ああ久しぶりだなぁと色々試してみたんですね。なほみ先生の部屋に飾ってあった時の置き方が、確か、白黒で色が7枚あったと思ったんですけど白4枚黒3枚ですかね?

ハノイの塔

ハノイの塔のルール

【尾関】 はい、そうですね。ペグに白黒順番に重ねてありましたね。

【鈴木】 でそれがいつもの初期状態の置き方ではなくて、なほみ先生から借りたときは、白が4枚が左端で黒の3枚が右端ていう色分けしてあって、なんかちょっとオブジェのような感じでおいてあったんです。僕も返すためにその形で置いておいたんですね

三宅なほみ先生の部屋に飾ってあった時のハノイの塔の様子

【鈴木】 なほみ先生が席を外されていたので、帰ってきたら返そうっていう感じで横に置いて、パソコンをさわってたんです。その時に、その白4黒3で分かれてる状態から、逆に動かせるのかみたいな、ちょっとした疑問がうまれて、その時は何の根拠もなく不可能だなと思ったんです。そうしているうちになほみ先生がかえってきたので、「これで解けますかね?」みたいなことをなほみ先生に言ったんですが、なんだか実際やる事になっていって・・・。

【尾関】 ふとした事がきっかけで。

【鈴木】 はい、これがきっかけで、僕が4年になったときに1年生の授業でちょっとそれやってみたいってことになって、実際に1年生の授業で「これは解けると思いますか?解けないと思いますか?」というとこから始まって、授業に何度か出入りさせてもらってデータを取らせてもらって、それが卒論になったんです。

【尾関】 鈴木さん自身が自然に転がってるものをふとみて「あっ」て思ったのを伝えた事で、つながったんですね。

【鈴木】 そうですね。なほみ先生の部屋にはそうやって色々なものが置いてあって・・・。

【尾関】 意図はあるんだけど、実際はそこまで深い意味もなく色々置いてありましたね。

【鈴木】 別に意味もなく・・・、そうなんですね。

【尾関】 その話した時に先生はなんて言っていたか覚えていますか?

【鈴木】 なほみ先生がですか?・・・ううーん。

【尾関】 私の予想なんですけど、実際先生はあまり話さないで、鈴木さん自身に「なぜ不可能かと思ったのも含めて、調べてみたらどうか」ということを話させていたんじゃないかと・・・。

【鈴木】 あああ・・・そういうことですか。

【尾関】 実際はどうだったかわかんないけど。今のは予想です。

【鈴木】 たぶん、そうかもなぁ。先生はいつも答えを言わないし、その時も「できると思う」とか「できないと思う」もたぶん言わなかったはずなんですよね。だから3年の時も僕がそんなことを言っても、先生は頭の片隅に置いていたくらいかもしれません。僕がそのネタに関して本当に興味をもつのを『寝かせていた』感じはありますね。

【尾関】 なるほど。

【鈴木】 でもそういえば、その興味を持ったって話した後に予備実験みたいなやつをやりましたね。僕と同期の認知科学科の学生に、2人1組でその課題を解かせるってことをやってたような気がします。先生に「そこのデータはちゃんと調べろ」って言われたけど、多分僕が怠けてて、あんまり大した結果としてなほみ先生に見せる事ができませんでしたが。

【尾関】 予備実験をやることはやったと?

【鈴木】 やることはやりましたね、部屋借りて録音して。その時は2人1組だったけど、その後の4年生のゼミのときに1人でやるのと2人でやるのとはどう違うのかみたいなことを当時の3年生や2年生に協力してもらってやっていました。そしてその後に、1年生の授業で扱って、そこのデータを卒論にしましょうっていう話になったのかな?なんかちょっと思い出してきた。はっきりと覚えてないんですけどね。あんなにやってたのに・・・

(Section2は只今準備中です)

取材スタッフ:尾関智恵、春田裕典/構成:尾関智恵/サイトデザイン・撮影:春田裕典

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