話し合いで算数
9月号では「人とまじめに話し合うことで思い込みからも解放される(ことがある)」という話しをした。ついでに今月は、「話し合って理解を深める」認知理論をまじめに生かそうという学習設計を紹介したい。学習科学という最近それなりに盛んになりつつある研究分野の一部で、「話し合いを通して一人一人の理解を深める」協調学習について、いろいろな理論的、実践的研究が行われている。
アメリカの話しだが、1990年代の後半に、小学校高学年から中学校の算数・数学を協調的に教えるジャスパー・プロジェクトと呼ばれる実践研究がかなり話題になった。主に教育困難校の生徒を対象に問題解決能力を育成するプロジェクトで、ドラマ仕立てにしたビデオに出てくる問題をみんなで解決しようという筋書きになっている。今回は、まず作った人たちの算数・数学教育に対する考え方を少しだけ解説した後、シリーズの中から一つの課題を紹介し、こういう教え方にまつわる学習科学談義は、次の号でお話したい。
ジャスパーシリーズを考案したチームは、現在普通の学校で行われている授業がうまく行っているとは思っていない。例えば学校教育に対する批判の一つに、学校で問題が解けるようになってもその成果が社会で役に立つとは限らない、というものがある。その原因として、学校で解く問題と日常的な問題とではそもそも性格が大きく違うからだ、と考えてみることができる。教室で子どもが解く問題は、ほとんどの場合、解き方を覚えていれば解けてしまうので、そういう意味では「簡単」である。これに反して私たちが日常生活の中でぶつかる問題は、たいていは初めて見る問題で、解き方を教えてもらったことがない。まずどうやったら解けるのかを考えなければならない。解き方や答えがいろいろあってそのどれが一番いいのか、いわば答えの質を問題にしなければならないこともある。また、教室では同じような問題を繰り返し解いたとしてもせいぜい5、6題で、一度覚えた解き方を徹底的に利用するチャンスはまずないが、日常生活では毎日繰り返し同じような問題を解くことも少なくない(家業のお店を手伝う子どもは、同じような商品を売ってお釣りを計算する経験を何度も何度も繰り返すだろう)。もう一つ、教室で出された問題は、間違ってもそれだけのことだが、お店の手伝いをしている時にお釣りを間違えては困る。日常生活での問題解決は、100%の正解が求められる。
このギャップを埋めるには、教室で解く問題にも日常生活で出会う問題と同じような特徴を持たせればよい。教室を生活の場にするのは難しいから、その代わりに普通の日常生活のように複雑な問題が起きる場面を「マイクロワールド」として切り出して、その中に生徒を巻き込んで問題を解かせる。解けたらすぐ同じような解き方を何度も繰り返し経験できるよう、似た問題をたくさん用意する。さらに、問題の解き方そのものを見直して、将来似たような問題を効率よく、しかも正確に解くためにはどうすればよいかを考えさせたらどうだろう?
ジャスパー・プロジェクトは、こういった考え方に基づいて作られた。12の課題がある中からここでは、「傷ついたワシを救助するために最短移動経路を計算する問題」を紹介しよう。問題は、主人公ジャスパー(と言っても30代か、というようなおじさん)が、人里離れた釣り場で撃たれたハゲワシを見つける。仲間と連絡をつけて、なんとかこの鷲を町の獣医のところまで運びたいのだが、彼は今、一番近いガソリンスタンドまででさえ歩いて5時間のところにいる。最近、ウルトラライトという小型飛行機のようなものを開発して飛べるようになった仲間もいるが、さてなんとかならないか?というような話である。子どもたちには、ビデオを見て問題を自分たちで定式化してそれを解くことが求められる。ビデオのあちこちに「それとなく」計算に必要な数値が出てくるのだが、生徒はそれに自分たちで気付いてビデオを何度も見直して必要な情報を集めなくてはならない。話の概要を枠囲いで紹介するので、小学生になったつもりで読んでみていただきたい。
ジャスパーの友人ラリーは、ウルトラライトという飛行体を操縦できる。仲間のエミリーにも操縦の仕方を教えることになり、そのやり取りの中で次のようなことがわかってくる。たとえば、ウルトラライトは、自重が250ポンドで、全部で220ポンドの重さのものを運ぶことができる。荷物を積むには10ポンドの箱を積む必要があり、例えばそこに1ガロンだけ余分な燃料を積み込める。ガソリンタンクの容量は5ガロンで、満タンだと重さが30ポンドになる。風のない日であれば大体1ガロンで15マイル飛べ、1マイル飛ぶのに2分かかる。また離着陸には平らな地面が約100mあればよい。燃料には普通のガソリンを使える。
場面が変わると、ブーン牧場でジャスパーが一人、釣りをしている。ここは、ヒルダという友達のやっている人里離れたガソリンスタンドから、さらに歩いて5時間ほどはいったところ。ジャスパーが釣り上げた魚を焼いて食べていると銃声が響く。行ってみると、保護鳥のハゲワシが撃たれて傷を負っている。ジャスパーは、トランシーバでヒルダを呼び出し、ワシを獣医のところまで運びたいから、エミリーに連絡を取ってくれと頼む。ヒルダのガソリンスタンドと獣医やラリー、エミリーのいる町カンバーランドとは60マイル離れている。
エミリーは獣医のところへ行き、相談する。壁に貼ってある地図の上でコンパスを使って測ると、ジャスパーのいる辺りから獣医のところまで、直線距離で約65マイルあることがわかる。獣医はワシの重さが大体15ポンドくらいあること、早く治療できればそれだけ助かる可能性も高いことなどをエミリーに伝えて、次の患者の治療に行く。エミリーは一人でコンパスを使って、ジャスパーのいるところからヒルダのガソリンスタンドまで15マイルあることを確かめる。ラリーに電話してみると、ラリーはちょうど近くにウルトラライトを止めていて、タンクも満タン、いつでも飛べる、という。風もない。ビデオは、エミリーが、「着陸したり飛び立ったりにそれぞれ5分くらいずつはみておかないと…」とつぶやきながらワシを救う計画を立てようとしている場面で終わる。
ビデオにはこの他に、レストランで変わったデザートを頼むエピソードや食事の料金を払う際のお金の計算、ヒルダのガソリンスタンドでの車の燃費とガソリンの値段についてのやりとりなど、さまざまな情報が紛れ込んでいる。例えば、レストランでの食事の後、エミリーとラリーはどれだけ体重が増えたか、レストランの体重計に乗って体重を量る。ほんの数秒のシーンだが、体重計をよくよく見ると、エミリーは約120ポンド、ラリーは180ポンドあることがわかる・・・。
さて、この問題に対して、あなたの答えはどうなっただろう?ワシの運び方は何通り考えられただろうか?ちなみに教材パッケージに用意されている解答では、3時間50分でワシを病院まで運べることになっている。私の大学でやってみたところ、3時間かからずに「なんとかなる」(例えば、ウルトラライトがブーン牧場に向かっている間に、獣医をガソリンスタンドに運んでおく)という解も出てくる。
子どもたちはビデオを見終わった後、まずクラス全体で討論して、問題を確認する。どうやったら一番速くワシを病院に運べるか、その運び方を見つける必要があるのだということを確認する(これに結構時間がかかる)。その後、グループに分かれてワシ救出計画を立てる。結構落とし穴が用意されているので最初の計画がうまくいかない場合もあり――例えば、5ガロン満タンだけだと、ジャスパーのところに寄ってからヒルダのガソリンスタンドまでは持たないし、ラリーが操縦したのでは体重が重すぎてワシどころか必要な燃料も積めない――いろいろな計画を試さなければならない。グループごとに計画が立ったら今度はそれをクラスで発表し、どの答えの出し方が一番よさそうかを話し合う。その後それぞれ一番よいと思うやり方で答えを実際出してみて、結果をまたクラスで発表し合って比較し、いろいろな解き方を確認する。
このシリーズを作ったブランスフォードたちは、こうやって、知っていることを総動員して解き方をみんなで工夫するところから始めることによって、子どもたちに「問題を定式化する力」「問題を解くのに必要な情報を集める力」「解を求める力」「解を確かめる力」「様々な解法を比較検討する力」を付けることができる、と主張している。あなたは、どうお考えだろうか?