学習科学という新分野
今、学習をその根本から見直そうという学習科学が盛んになりつつある。このシリーズでは、そういう動きに焦点を当てて最近の研究を紹介しながら、人はいかに学ぶものなのか、人がうまく学べるためにどんな支援ができるのか、を考えていきたい。数学教育もときどき題材として取り上げるが、もっと広く、「学びとは何か」「人はいかに学ぶか」「賢さとはなんだろうか」など、学習一般について考えてゆく。
学習科学の根底には、人が一人で学ぶのではなく、たくさんと学びあうという見方がある。単にこれまで学校と呼ばれる場所でやってきたことをもっとうまくやるにはどうしたらいいかという方向で考えるだけでなく、広く社会の中で人はいったいどうやったらうまく学べるのかを科学的に考え直して、うまく行きそうなやり方を積極的に試していこうという勢いのある分野である。
学習科学の研究のやり方には、二つの大きな特徴がある。一つは、学習を理論的に明らかにしようとしていること、もう一つは、学習を実践的に支援してみて何が有効か直接確かめながら研究を進めること、である。理論作りの基礎は、認知科学が支えている。学習支援として人がうまく学ぶための手助けをするのには、最新の情報技術やネットワーク技術を駆使する。学習をうまく進めるためには、学習する途中にどんなプロセスの記録が欠かせない。そのためにITテクノロジが大きな役割を果たすのも学習科学研究の特徴である。新しい環境を作って、新しい教え方で教えてみて、そこでどんなプロセスを経てどんな効果が上がるのかを詳しく観察・分析して、これまでにはなかった詳しさで「学習過程」そのものを明らかにし、そこから学習の理論を作る。このサイクルを何度も回してゆくことによって、人を今より数段「賢く」する方略を見いだそうとする。ヨーロッパやアメリカでは、最近次々と大きな学習科学研究センターがうまれつつある。こういった動きの背景には、社会の仕組みも、社会が要請する知識の質と量も、人類の生存の仕方も変わろうとしている今という時代に、私たち一人一人がこれから何をどうやってどこまで学んでいったらいいのか、それを根本から考え直さなくてはならないという社会認識があるだろう。
では、人は、どういう時にうまく学ぶのかというところから少し基礎的な話しをしてみよう。あなたは、何が「得意」だろう?なんでもいいのだが、得意だと言える、ということは、その学びはうまくいった、といえるだろう。そういう学びにはどんな特徴がありそうか、ちょっと考えてみて欲しい。「まぁ、とにかく時間はかけました」とか、「やっぱり自分からやってみようか、という気がありました、好きだったといえると思いますし」とか、「いい先輩がいました」「仲間に恵まれました」など、得意なことがある人であれば、みんな言いそうな共通項がある。認知科学では、そういう学びにどんな特徴があるかをまとめるところから学びの研究をやり直している。そういう研究からまとめると、うまく行った学びには、
- 一定以上の時間をかける
- 強い動機付けを持つ
- 積極的に関連情報を収集し、必要なことを覚える
- 教え合ったり、議論したりする仲間がいる
- さまざまなレベルの先輩がいる
- 試行錯誤を繰り返して、自分なりの知識を作り上げる
- 学んできた結果が次の学びに結びつく
などの特徴があり、だからこそ
- 学ぶ対象は人によって限定されている
ものである。こう考えてみると、いわゆる学校は、学びがうまく行く条件をあまり揃えていない。覚えることはたくさんあって、一つの単元が終わったら(そこでできるようになったことを十分繰り返し楽しんだりするのではなく)さっさと次の章へ行くのが「普通」になっているし、普通教室は「同じレベル」の学生だけで構成されており、デストでは、「他人の協力を得る」ことは一般に禁止されている。これらの食い違いが、学校という制度による便宜上、見かけ上の差なのか、ここに何か人の学びにとって本質的な違いがあるのか、そういうことを見極めるのも、学習科学のテーマである。これらの特長についてもう少し考えてみたい。
先のリストをさらにまとめると、一般にうまく行く学びには二つ、
- 繰返し、時間をかけて自分で知識を作る
- 社会の中で、他人と協調的に学ぶ
という大事な特徴が含まれていると考えられる。この一つ目の特徴にある「自分で知識を作る」という言い方はとても「認知科学的」な言い方なので、分かりにくいかもしれない。簡単な例で説明してみよう。
まず、こういう問題を考えてみて欲しい。
月曜日+木曜日=?
答えはやはり金曜日になる。解けた、という方、いったいどんな解き方をしたか、説明できるだろうか?
普通の解き方を丁寧に追うと、月曜を「1」とし、そこから火、水、木・・・2、3、4と数値を当てはめ、計算して答えを出し、またその答えの数値を曜日に戻して答えにしている。私たちは、結構こういう見たことがない問題でも、これまでに知っていること、(曜日や数字の並び、対応付け、演算など)を総動員してこの問題を解いている。知識はこんなふうに、結構新しい場面にも柔軟に使える。
さて、ここまでは既有の知識を使って問題を解く話だが、今度は、こういう経験からどんな「新しい知識」を「自分で作る」のか、その過程を説明しよう。今この問題をたくさん、何度も何度も繰返し解かなくてはならなくなったらどうだろう?百枡計算の要領で7×7のマトリックスでも作ってやってみていただきたい。
実際やってみると、いくつかのことに気付かれたのではないか?例えば、日曜日を足すと答えは必ず足される曜日と同じになる。月曜日を足すと、足される曜日の次の曜日が答えになる。火曜を足すなら次の次の日、水曜を足すなら次の次の次の日・・・土曜を足すなら前の日に戻り、金曜を足すなら前の前の日…となる。大学生でもこの問題を100題もやっていると、自然とこのような規則を見つけ出す。規則は、自分で作るもの、なのである。こうなった状態で、スピード競争をやろうと持ちかけると、この規則を使う公式派に加えて、答えの表を作ってそれを見るのが速いという表派(外化派)、いや、この程度なら全部答えをおぼえっちまった方が絶対速いという暗記派などが出て結構議論になる(やってみると案外暗記派が勝ったりもする)。
で、さらに話は続く。こうなって曜日計算にみんなが十分時間をかけて慣れてきた状態で、突然話題を変えて
という問題を出す。と、30%から40%くらいの学生が、mが何番目の文字かを考えることなく、「mの次の次の文字、つまりo(英文字のオー)」が答えだ、という。
何が起きているか、お分かりになるだろうか?先ほどの曜日計算で作った規則、「足す火曜日なら次の次の日」が、自然に文字列に転用されて、「足すbなら、足される文字の次の次の文字」でいいだろうというわけなのだ。曜日計算の最初に比べると随分効率よく学んだことを新しい問題に適応できるようになっている。こういう形の知識を認知科学ではスキーマと呼ぶ。人は、長い時間をかけて同じような問題を繰り返し解く経験をすると少しずつ違う解き方を試してその効率のいいところを抜き出して他にも応用できるような形でまとめておく、という知識の作り方をする。
人が、長い時間をかけて経験を積むとだんだん得意になっていくということの裏にこういう適応範囲の広くて効率のいいスキーマの形成がある。答えの解き方を覚えるだけだとこういうスキーマはなかなかできてこない。私たちが学ぶとき、どういう経験をどの程度繰返し積んだら、適用範囲の広い、いいスキーマができるのかを考えるのも学習科学の大事なテーマの一つである。